先の事も考えないと しかし振り返ってみると
以前、齢40を超えてから合氣道を始めたことを書きました。様々な合氣道の入門書を読んだり、DVDを見たりしていました。
植芝盛平先生が、合氣道・合気会を創設され、高弟たちが独自の流派を立ち上げていきました。私のお世話になっている研心館は、藤平光一先生を祖とする気の研究会の流れをくむ合氣道です。
藤平光一先生は、合気会のプリンスといわれた合氣道の達人ですが、若いころ結核で療養を強いられ、激しい運動は不可とダメ出しされたこともあるそうです(ちなみに藤平光一先生は戦前の慶応ボーイで大地主の息子さんです)。
話は戻りますが、療養中、先生は菜根譚(明代の書物で著者は洪応明)を暗記するまで読破されたそうです。
少し興味があり読んでみると、なかなか素晴らしい的を得た文書が多々あります。もともと儒教・仏教・道教の融合のような内容なのですが、その中に孔子の有名な言葉があります。有名すぎて誰もが聞いたことがあると思いますが、全文をしっかり読んで自分に当てはめたことは少ないのではないでしょうか。
孔子は自分の人生を振り返り、こう表現しました。
吾れ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳に順い、七十にして心の欲するところに従いて、矩をこえず
ここから、それぞれ年齢の別称を、志学・而立・不惑・知命・耳順といいます。
わが身の事に当てはめてみると、なるほどと思うことが非常に多いです。
十五歳 ・・・。中学3年ですが、人生で一番勉強したのでは。大学受験・医師国家試験・大学院学位論文前よりも、集中していたと思います。丁度その頃帝塚山にある塾(スパルタで有名、且つカリスマ?)に通っていました。クラブ活動をするような感覚で、模擬試験に臨んでいました。勿論、塾の夏・冬・春合宿がありました。とにかく結果が出ることが楽しみでした。
三十歳 ・・・。ではありませんが、学位をいただいて西田辺にて耳鼻咽喉科を開業しました。初めて個人事業主という立場になりました。以来23年を経て、周りの状況の変化は日々大きくなっているのではないでしょうか。益々厳しくなっていると実感しています、親の時代(大先生の時)とは大違いです。
四十歳 ・・・。厄年を何事もなく乗り切り、合氣道・昆虫採集などを始めた頃で、少し油断もあったかもしれません。警察犬(シェパード)を飼育したり、仕事が終わってから同級生と飲みに出るのも楽しみでした。
五十歳 ・・・。まさかの入院と全身麻酔による開腹手術。少し折れかけましたが、仕事ができるようになり、幸いまだやり残していることも。入院中は悪い状況ばかりが頭の中を巡っていましたが、復帰が実現できたのなら、あれもしたい、これもしたいと考えていました。
六十歳 ・・・。まだ数年ありますが、耳順という心境・心構えができているのでしょうか。より頑固者になっているのでは。今心に決めている予定は、同窓会と恩師の米寿のお祝い(帝塚山学院男子部、今はなくなりましたが)をぜひ開きたいと考えています。
七十歳 ・・・。まだ実感がわかないのですが、後期高齢者ではないですね?
物理的には人生の折り返し点は通過しているのですが、これから先が長いのか短いのか想像できません。考えないようにしていますが、充実したものであれば、そうしていこうと考えています。
例えば次はどんな国家試験に挑戦してみようかなと。
気象予報士は? 合格率5%ですが頭の体操も兼ねて、色々余計なことを考えながら日々過ごしています。
まだ終活には少し早いと言われるかもしれませんが、備えあれば憂いなし。エンディングノートなるものも用意し始めています。
私の母親は早くに亡くなりましたが、父は健在です。しかしもう80歳も後半です。毎年正月には本人の意思確認をしています。昔は親不孝と非難されたかもしれませんが、今では大切なことだと思っています。この齢になると、いろいろ考えることが増えてくるものです。
2016年8月吉日 川﨑耳鼻咽喉科 川﨑 薫