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私の宝物?

[2019.01.15]

二代目開業医の私としましては、何か家の中にめぼしい物はないかと探し、あれこれ考えてみたのですが、世間でいう宝物は特には見つかりませんでした。母親(先代の院長で私が4回生の時に亡くなりました)が気に入っていた着物は残っていますが、私にとって「宝」と言えるか疑問です。

15年弱診療所を閉めていましたが、平成5年11月に新たに川﨑耳鼻咽喉科として開業しました。当初は若先生と言われながら診察しておりました。先代の印象が強かったのかもしれません。新規開業にあたって、バブルのはじけた後でもあり、銀行融資等においても色々苦労がありました。

昔の開業医の事をよく知っていただけに、健康保険制度・製薬会社・卸問屋との関係など、時代の流れでこんなにも変わるものなのかと、話が違うと感じたものでした。

 

2年ごとの改正のたびに不平・不満を言いつつ、25年継続することが出来ました。

自分としては、決して順風満帆であったとは思っていません。紆余曲折が様々あったように思います。

入院・手術・長期の休診も、はじめて経験しました。そのとき考えていたことは、「もしかしたら復帰できないかもしれない。いやそれは困る。1日でも早く復帰して診察をしたい」。そういう思いで、入院生活を送っていました。

 

その後7年が経過し、現在のところ体調は落ち着いているように思います。しかし、これは私がこれからも背負っていかねばならない「さだめ」とし、日々、仕事・診察が出来ることに感謝し、これからもモチベーションを維持し続ける気持ち。これが私にとって一番の宝物と思っています。

もう一つは、私の入院中・退院後の診察においても、しっかり支えてくれた石垣のようなスタッフも宝物です。

もうすぐ還暦に手が届く年齢で、医療情勢の厳しい中、今後何年続けられるか分かりませんが、この二つの宝物を大切にし、これからの診療の糧にしていきたいと思います。

 

昔社会科の授業で、「55歳定年、その後は年金充実」と習ったような気がします。

私は日本の社会保障・医療制度は世界に誇れるものであると信じています、またそうであってほしいと願っています。

川﨑耳鼻咽喉科 川﨑 薫
平成31年1月吉日

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