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臍下の一点(合氣道における一点)

[2021.12.16]

 私が合氣道を始めたのは開業してしばらく43歳頃のことです。道場が近所で息子がすでに稽古に通っており、見学しているうちに

(学生の頃柔道部に6年間所属しておりましたが、その後武道とは離れておりました)青畳が懐かしくなり四十の手習いとして始める

ことにしました。合氣道の蘊蓄を述べると長くなりますので、簡単に紹介します。

イメージとしては護身術です、実際試合というものはありません(一部の流派では試合形式を取るものがあります)そもそも植芝盛平翁が

武田惣角の大東流その他様々な武術を取り入れ作り上げたのが現在の合氣会 合氣道です。その後盛平翁の高弟達が独自の流派を興し

独立しますが私が稽古をしている流派は藤平光一先生の流れをくむものです。段級審査はありますが、試合形式ではなく技そのものの

出来映えを審査します。同じ技を披露しても初心者と有段者が同じではいけません、重要なことは統一体がきちんと保たれているか

それは臍下の一点に氣が集中できているか、相手は崩れているが自分は統一体を保っていることが重要です。

因みに臍下の一点(臍下丹田とも言います)とは臍という文字が入っていますが身体の臍部分ではありません、帯の結び目の少し

下ぐらいですが特定しにくいです。立ち姿 正座 一連の動作の中においても臍下の一点に氣を沈め統一することが合氣道の基本です。

力で振り回すのではなく心が身体を動かすの極意です。心身一如の気持ちが大切です。本来は護身術 武道なので相手に受け身を

取らせずに打ち負かすののですがそれでは怪我人続出で稽古にねりません(合氣道では練習ではなく稽古です)例えると名人の舞う

日本舞踊のように身体の線がぶれず流れるような円の動き、残心の美しさ それら全てが一点に氣を沈め統一することから始まります

若い頃から初めておられる先輩諸氏は自然に統一体ができているのですが私のように四十を越えてからになると、まず頭で考えてしまう

のでどうしてもテンポがずれてしまいます、まるで階段の昇降時に先に出す足が右か左か考えてしまうようなものです。

私も黒帯をいただいていますが、日々学ぶことは多々あります

日常診療においては18歳からの医学生 24歳からの耳鼻咽喉科医と医師としての年期は長いので一点に心を静め、頭は冷静に

気持ちは熱くの精神で日々診察しているのですが、最近気になるには FAX ダイレクトメール等で医院の継承 閉院の仕方

ポストには霊園のチラシが入り 還暦を過ぎたときには年金の再手続き 休業補償の減額等なんだか外堀を少しづつ埋められている

ような気がするのは考えすぎでしょうか? いつまでも若いとは思っていませんが心が身体をうごかすの気持ちを大切に診療に

臨みたいものです。

                         

           植芝盛平                武田惣角

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