昭和 戦後という言葉は過去のものに?
毎年夏が異常なほど暑くなり、乗り切ることが出来るのか不安になる
今日この頃です。8月15日が近づくとマスコミ等で戦争について、平和とは?
様々な意見が飛び交います。先の大戦から80年弱歴史の授業でも近代史は
ほとんど学ばないため 応仁の乱 関ヶ原の戦いよりも若い人たちには
馴染みのないものかもしれません。実際に体験したことのない戦争を
知らないの世代の目線から考えてみました。私たちの学生時代
フォークソングで(戦争を知らない子供たち)という歌が流行っていました。
高石ともや はしだのりひこ山本コータロー 北山修等々お歴々の歌が
ラジオの深夜放送で流れていました。
本当は二つのことを同時には出来るはずもないので、きっと勉強のふりを
していただけだと思います。昭和35年生まれの私にとって学生運動の
最盛期 連合赤軍の様々な事件は衝撃的なニュースでした。それらは
戦争ではなく’テロ’であり許されるものではありません。実際に戦争という
名称が与えられたものに’受験戦争’があり ’受験生ブルース'歌が
流行っていました。当時はスパルタ塾もあり大阪の府立高校は学区制で
’しないさせない越境入学’のポスターが街中に張られて
いました。府立高校の入試は内申プラス入学試験の制度でした、
その頃京都府の制度は”15の春は泣かせない”のキャッチフレーズで総合選抜
という方式だったと記憶しています。(時期は多少前後するかもしれません)
15の春は泣かなくても18の春で泣いていれば意味がないと塾の先生が
言っていたような気がします。受験戦争の言葉は良くないのかもしれませんが
生を受けてからお迎えが来るまで学生であろうが、社会人であろうが競争は
必ずついて回ります。スタート ゴールが皆同じと言うことはあり得ません、
何事にも順位をつけないのはいかがなものかと思います。
競争(言い方を変えれば 切磋琢磨)によって様々な発明、技術革新が
実現してきたことも事実です。人類は有史以来様々な争いを繰り返してきました、
食料争い 領土争い 宗教争い 相続争い 等々争いの種は
尽きることはありません
当事者はお互いに自分の方は正義であると信じ切っているので、
収まることは困難ではないでしょうか?残念ですが人類という
生物の性として争いの種が尽きることは不可能ではと考えています。過去の戦争は
お互い相手を見ながら戦っていましたが時代が進むと投石 弓 銃 ミサイル
ICBM等相手を見ないで、ボタン一つで終わってしまいそうでもっと恐ろしい
気がします。相変わらずアメリカの大統領選挙は物騒なようです
’人類が万物の長である’などと思い上がっている限り争いはなくなることは
期待できないし、この地球という小さな船の中でのいざこざは続いて
行くのではないでしょうか?SFの世界のように何か大きな力が働いて
丸く収めてくれるとありがたいのですが、・・人類に課せられた永遠且つ
最大の課題です
戦争を知らない子供たちの 8月15日 に寄せた思いです。