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”市”お市の方 今も昔も男は美人に弱い

[2024.12.31]

前期高齢者の仲間入りとなり、人生最終コーナーを通過しかかっている

あたりでしょうか。アイドルグループの出演している番組を見ていても、

全員同じ顔に思ってしまう今日この頃で今更美人がどうこうではないのですが、

同じお題で大阪保険医協会誌に投稿したのでこちらのコラムにあげてみました。

おそらくほとんどの方は”お市の方”の名前は聞いたことがあると思います。

織田信長の妹であり、戦国時代一の美人と評されています。女性を外見で評価

することは最近では不適切にもほどがあると非難されそうですが歴史上の人物

ということでご容赦目願いたいと思います。今更言うまでも無く織田信長は

信長 秀吉 家康と天下統一の礎を築いた人物の一人です。お市の方は信長の

妹であり広く知られていますが、妻である”濃姫”はそれほど知られていません。

美濃の出身で濃姫と呼ばれていたそうですが、一説によるとあまり大事に

されていなかった様です、信長は妹の”お市の方”に関心が向き濃姫の実家からは

疎まれ、濃姫の婿様である信長は”兄妹たわけ”とののしられたとも言われて

います。その信長の足軽であった若い頃の秀吉はその風体から”さる 猿面間者”

と呼ばれていました、その頃より秀吉はお市の方に懸想していましたがプライド

の高い彼女は気にもかけていなかったそうです。そこから秀吉の長い片思いが

始まります、お市の方は浅井長政に嫁いだ後、姉川の合戦で長政が敗れ、自害の後

柴田勝家に嫁いでいます。無骨な勝家が彼女にメロメロになっていた姿が目に

浮かぶようです。最終的に勝家は賤ヶ岳の戦いで敗れましたが、彼はお市の方に

生き延びるように勧めましたが、彼女はこれを拒み二人でじがいしました。

3人の娘(茶々 初 江与)は秀吉に引き取られ茶々は秀吉の側室に、初は

京極家に 江与は徳川家に嫁ぎしっかりとお市の方のDNA(ミトコンドリアDNA)

を現代まで残しています。気位の高いお市の方は秀吉に庇護を求めるくらいなら

とみずから死を選んだことになります。美人であるが故に時代に翻弄された

お市の方、若い頃より彼女に懸想していた秀吉の思いはかなわず、もっとも

彼女は貧相で猿面間者の秀吉をとことん嫌っていたそうです、勇猛果敢で

その名を知らしめた武将たちも美人には弱かったということでしょうか。

以前どこかの徳の高い人が美人は三日見たら飽きるけど**は三日見たら

慣れると言ったそうですが、私個人としては美人はずっと見ていたい

気もするのですが、美人が得かどうかは様々な意見があると思います。

時代時代できじゅん 価値観が変化していくと考えています。

    男性の方で一人取り上げてみると

希代のプレイボーイとの呼び声が高い在原業平について少し述べたいと

思います、平城天皇の孫にあたり血筋で言えば誠にやんごとなき家柄で

あるが、体貌閑麗 放縦不拘(見た目は良いが優柔不断)略無才学 著作

倭拘(賢くはないが、和歌の才能は素晴らしい)とやっかみと嫉妬の

てんこ盛りの評価のような気がしますが男性はなんとなくマイナスの

イメージに見られます。同性の僻みのせいでしょうか、とは言え

和歌は素晴らしいと思います。 自薦ですが

1   かきつばたの歌

 から衣きつつなれにし つましあれば はるばるきゐる たびをしぞ思う

2 古今和歌集

  千早振る神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるかな

  落語 ちはやぶる の歌です

現代は、物言えば唇寒しの時代(知らず知らずに録音されたり、)

ですが、確かに差別用語として使用するのはNGですが昔からの言い回し

医学用語にしても全てダメというのはいかがな物かと考えてしまいます

古典の良いところをしっかり理解して、昔からの趣のある日本語が

末永く伝承されることを願っています。

 

 

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